父のこと
関西在住のほかちんと申します。妻と二人暮らしの酉年生まれです。折に触れて感じた独白。
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15年以上前になる。父が、風呂場で脳梗塞で倒れ救急車で運ばれた。
病院でリハビリ終了後退院するとき困ったのは、母が一人で面倒見るのは大変だろうということだった。
私も姉も弟も遠く離れて暮らしているため、後遺症が残る父を高齢の母が一人で面倒みるのは大変なのは明らか。たとえ介護サービスを受けるにしてもだ。
結局、父を実家近くの高齢者施設個室に入居させた。しばらくの間と父には言い聞かせ、結果的には騙した格好だ。
帰省したときに施設を訪れると、家に帰りたいという父をなだめすかしたもんだ。
一人暮らしになった母は、静かに本を読む時間ができたと言っていた。倒れる前から父が粗相するなどして世話が大変だったようだ。
施設ではおいしい食事がでて、帰省したときには一緒に食べた。提携先のクリニックで定期検診もあって安心していたが、その後、父は前立腺肥大の手術もし、認知症を発症し、衰えが急速に進んだ。寝たきりになり意識もなくなり長期療養型の病院に入院した。
最初は呼びかけると返事をしていたが、数カ月たつと酸素吸入と経鼻で栄養補給してなんとか命を維持するだけで呼びかけても反応がなくなった。
ベッド脇で見守っている間にも、たんが溜まるのか苦しそうに大きく咳き込む。あわてて看護師さんを呼んだりもした。
帰省して父の苦悶の表情を見るたび尊厳死という考えも頭をかすめた。
父は16歳のとき、学業のためにいた広島で被爆した。直後、命からがら九州に帰ったはずだ。
父から被爆したことすら直接聞いたことはない。当時の地獄図を思い出したくなかったのだろう。被爆二世となる僕らの将来を案じてか、被爆者手帳を申請したのは定年後だ。
今年は、被爆80周年。優しかった父を偲ぶため8月6日広島を訪れるつもりだ。(了)